僕は愚かな人類のこどもだった

  Tさんに誘われ「アフリカに学ぶエコな生き方」という講座へ。途中、睡魔に襲われることなく、フラットに終了。

  終わった後でTさんが「傷ついた・・・」という。「知るということは辛いことだ」とも。よくよく話を聴いていたらわかってきた。そして、私の心がフラットなままだった理由も。

  講演はTV番組でも取り上げられた日本人女性の研究者。
アフリカに住み、今では 1/3 日本人 1/3 アフリカ人 1/3 地球人とおっしゃっていたが、「ふ~~~ん?それで?」。私の感性は鈍り濁ったか?私なぞ、日本にしか住んでなくとも「日本人らしくない」ってよく言われるケドね。

  ちょっと前に読んだ 「ルーツ」の印象が強すぎたのか。独特な文化の生き生きと描かれていた描写に、現在、アフリカで生きている人の声には鮮度が低かった。それはなぜか?

  Tさんが傷ついた理由というのは「支援」が結局はこちらの価値観を植え付け、独自のものをダメにし、アフリカもアメリカも日本も同じになってしまうというようなことだったと思う。

  先進国はアフリカの資源を求めて進出し、必然的に現地人の姿を見、支援も始まる。
先進国の人間は電車や船や飛行機、果ては宇宙船に乗ってどこへでも。インターネットで世界を知ったつもりになり、TVでは流行りものが伝えられ、レンジや洗濯機は回る。

  その生活を支えるためにどうしても資源は必要だ・・・

  こぞって先進国の民はアフリカの資源を目指す。ルーツの時代には人間も資源であり売買された。私たちが現在の生活を捨てたなら、宇宙船の夢をあきらめたら、アフリカ独自の文化は守られるのだろうと思う。

  Tさんの主張はこちら側から見てよくても悪くても放置しておくべきだということ。
進化はアフリカ人に任せるべきだ。それが仮にきれいな水が手に入らなかったとしても・・・ということだったと思う。そのとおりだと私も思う。現地人にミシンを教えることが彼・彼女たちへの本当の支援なのか?と。

  私の正直な感想はとても感覚的なものだった。
良くも悪くも「結局、日本人でしょ?日本がイヤだったからアフリカに行ったんでしょ」・・・以上。

研修者は結局のところ戦後の教育と資本主義社会の中にいた日本人なのだ。どんな思いで日本を後にしたとしても、先進国脳でものを考え、実践した。私たちはもうずっと昔から正義や真実と信じ込んでいる中で間違いに気付かず、あるいは見ぬふりをして生きてきた人類の子孫だ。

  以前、「ビバ・ラ・ムジカ」という本を読んだことがある。
著者 奥村恵子さんはアフリカの音楽が好きで好きで現地で生でその音楽をやりたくて、南米に渡り、アフリカに渡り、フランスに住み、本当にアフリカ人みたいに音楽を吸収した。

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  ここに違いがあると思った。
好きなものを求めてたどり着いたアフリカで、目の前に展開されるものをそのまま受け入れ、丸ごと吸収した姿がそこに書かれていた。飾り気のない文章だった。奥村さんのアフリカ体験と件の研究者との違いはここにある。(ラジオに出ていた奥村さんの)そこに私は感動し、本を買い読むに至った。

  資本主義社会にどっぷりとつかっている私としては都合のいい、身勝手な話だけれど、アフリカに、見えないものを信じ、食料になってくれる生物に祈りを捧げる研ぎ澄まされた感性のようなものを期待していのだろう。

  今朝、たまたまあるノートを開いてみた。
昨年聴いた養老先生の講演のメモが書き残されていた。タイムリーというか神さまの啓示とでも言おうか、偶然って時にこわいくらいのヒントを与えてくれる。メモには昨日のTさんが感じたこと、そして彼女が何に傷ついたかがよくわかる言葉があった。

  ・常識と思っていることが世の中を壊す
  ・進歩=同じにすること
  ・同じにする→言葉→お金
  ・世界を止めるのは人間の脳
  ・典型的に変わらないもの=情報
  ・「同じ」世界=感覚が「同じ」→「危ない」

  正しいと信じて行うことの、なんと危険なことか。何の感想も持たなかった私が見たかったのはその他の後進国でも撮られるような同じ笑顔で写る写真ではなかったのだろう。

  Tさんがいう傷ついたというのはそういうことだと思う。
よその国の人間が入り込んで最先端であり、民主的で正しく変わらないシステムが生活を安定させる。それはこちら側の論理で何のユニークな発想もない。

  ここでいうユニークとは「面白い」という日本語ではなく、正しい意味での独自性だ。

---子どもには真実を話した。が、それだけでは十分ではなかった、正義と真実とでは。正義と真実の先にまだ何か、隙間(すきま)とも、空白とも、深淵(しんえん)ともいうべきものがあった---(ゲド戦記Ⅳ 帰還より)
  ちょうど読んだばかりです。再度、心に響きました。


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